東京高等裁判所 昭和34年(ネ)413号 判決 1961年12月26日
被控訴人 永代信用組合
事実
控訴人(一審原告、敗訴)真崎武士は請求原因として、控訴人は昭和二十八年六月中旬頃、訴外丸二商事株式会社(以下「丸二商事」という)から訴外西村勝郎を介して、「被控訴人永代信用組合に定期預金をすると、その預金額の三倍を限度として被控訴組合から手形割引の方法で融資を受けられるのであるが、手続の都合上定期預金をしてから二カ月位先になるので、その間の営業資金に困る。ついては、丸二商事の被控訴組合に対する定期預金債権を担保とするから、融資をしてほしい。」という依頼を受けた。控訴人は、定期預金を担保とするのであれば貸倒れの危険はないと考えたので、右の依頼に応ずることにしたところ、丸二商事は、昭和二十八年六月二十日に被控訴組合足立支店で満期を同年十二月二十日とする三十万円の定期預金をし、その定期預金証書を控訴人のところに届けてよこした。控訴人は、念の為に同年七月初め頃、被控訴組合足立支店で支店長安島富治に面会し、右定期預金証書を示してその直偽を確かめたところ、同人はそれが真正にできたものであることを認め、また預金者である丸二商事から求めがあれば、右定期預金債権について丸二商事が控訴人のために質権を設定することを承諾することを約束した。そこで控訴人は右の承諾を得させるために、丸二商事に前記定期預金証書を返還したところ、丸二商事は、これに右安島の記名押印のある質権設定承諾書を添付して同月十日に控訴人のところへ持参した。
そこで控訴人は、昭和二十八年七月十日丸二商事に対して、弁済期は同年八月五日、利息及び遅延損害金は前記定期預金の利息、割増金の金額をもつてこれに充てる約束で三十万円を貸付け、その担保として右定期預金債権につき質権設定契約をし、質権設定承諾書が添附された前記定期預金証書の交付を受けた。その後右貸付金の弁済期は延期されて同年九月五日となつたが、その日にも弁済を受けられないでいるうちに、丸二商事は倒産してしまつた。しかし控訴人は、前記のとおり確実な担保権を有していたので安心していた。しかるに控訴人が前期定期預金の満期に被控訴組合に対してその支払を求めたところ、被控訴組合は、右定期預金証書はその発行が被控訴組合の証書発行元簿に記載されていないとの理由でその支払を拒絶した。しかしながら、証書発行元簿に証書の発行されたことが記載されていないということは、単なる被控訴組合内部の事務手続上の問題に過ぎないのであつて、預金払戻拒絶の理由とはならない。よつて控訴人は前記定期預金証書に表示された定期預金債権の質権者として、定期預金元金の支払を求める、と主張した。
被控訴人永代信用組合は控訴人主張事実を何れも否認し、控訴人は、柳沢義春、西村勝郎らと共謀して、その主張する貸付があつたかのように仮装したのであり、控訴人の主張する定期預金証書及びこれに添付された質権設定承諾書は、被控訴組合足立支店の預金係員久保繁が柳沢に欺されて、何らの権限がないにも拘らず、被控訴組合足立支店長安島富治の印を擅に使用して偽造したものである。すなわち、控訴人の主張する被担保債権及び債権の目的である定期預金債権は存在せず、質権設定契約は無効であるから、控訴人が質権者であることを理由とする請求は、右の何れの点よりしても理由がない。また、安島が定期預金債権に設定することを承諾したとしても、安島にはその承諾をすべき権限はなかつたのである。仮りに控訴人が、安島にその権限があると信じたとしても、被控訴組合は法人として登記されているのであるから、安島に右の権限がないことは容易に知り得た筈であり、また、控訴人は被控訴組合本店に右の権限の有無について照会することさえしなかつたのであるから、控訴人が安島に右の権限があると信じたことについては重大な過失がある。従つて、安島が質権設定について承諾を与えたとしても、その承諾は無効である。さらに、控訴人は、柳沢、西村と一体となり、控訴人主張の定期預金証書が作成された事情をよく知りながらこれを取得したものである。仮りに久保繁が本件定期預金証書、質権設定承諾書を偽造したことが控訴人に対する不法行為となるとしても、右のような書面の偽造は、被控訴組合の事業の執行につきなされたものということはできないから、被控訴組合には、久保の使用者として控訴人の損害を賠償すべき義務もない。
以上何れの点よりしても、控訴人の被控訴組合に対する請求は失当である、と抗争した。
理由
先ず、控訴人が訴外丸二商事株式会社に対する貸金債権担保のため質権設定を受けたと主張する預金債権の成立につき判断する。
証拠を総合すれば、訴外丸二商事株式会社はもと久菱商事株式会社と称し訴外柳沢義春が専らその経営にあたつていたが、柳沢は右会社運営のための資金の必要に迫られたので、被控訴組合足立支店に定期預金証書を発行して貰い、これを利用して金融を受けることを考え、昭和二十八年七月初頃同支店に赴き、預金係久保繁に対し同支店長名義の定期預金証書を発行して貰い、これによつて他から金融を受け、それを同支店に預入れて真実の定期預金を成立させ、これによつて更に同支店から金融を受けたい旨懇請したこと、訴外久保はその頃右丸二商事に対する約定外の当座貸越の回収に苦慮しており、他面同支店が開設後日も浅く預余額の増加を望んでいた関係もあつたので、証書発行後直ちに真実の払込をするとの柳沢の言を信じてその要請を容れることとし、同年七月八日頃同支店備付の用紙を利用してこれに同支店長安島富治なる記名印及び支店長印を押捺し、かねて同支店と取引があり、訴外久保としては柳沢の協力者と思つていた西村勝郎が富士紙業株式会社の代表取締役として同支店に預入れていた定期預金証書の番号、金額を模した番号、金額その他の所要事項を記入し、丸二商事株式会社代表者兼桝徳春を預金者名義とする控訴人主張の被控訴組合足立支店長作成名義の金額三十万円の定期預金証書(但し、日付は前記富士紙業株式会社名義の預金証書を模した同年六月十九日付とした)及びこれに対する質権設定承諾書を作成してこれらを右柳沢に交付し、柳沢その頃これを訴外西村勝郎に交付して金融を依頼したことをそれぞれ認めることができる。
しかしながら、右定期預金証書記載の金員が被控訴組合足立支店に払込まれたことについては、これを認めるに足る証拠はなく、また訴外久保が右支店長安島富治の了解を得てその印章を使用し前記証書を作成したことについても、これを認めるに足る格別の証拠はない。
次に控訴人は、本件定期預金契約及び質権設定の承諾につき、訴外久保において被控訴組合を代理する権限を有した旨、及び仮りに右久保の所存がその権限の範囲を超えるものであつたとしても、控訴人が久保にその代理権ありと信ずべき正当の理由があつた旨主張する。しかし、証拠によれば、訴外久保はいわある預金係の一員として、定期預金についてはその申込を受付け、収納係による現金の収納をまつて定期証金証書に所要事項を記入し、収納伝票と共に支店長に提出してその決裁を求め、右決裁を得た上で預金者に預金証書を交付するという事務を執つていたもので、その預金契約に関する職務権限は右のような事務の処理にすぎず、契約締結の権限は支店長(もしくは支店長代理)に留保され、右久保には与えられていなかつたものと認められる。また原審証人柳沢義春の証言によれば、訴外久保による前記定期預金証書の作成交付にあたり、預金名義人たる丸二商事の代表者ないし代理人としてその衝に当つた訴外柳沢義春はかなり頻繁に右足立支店に出入りしてその事情に通じており、久保の職務権限が前記事務上の処理の範囲に止まるにすぎなかつたことを知悉し、本来権限ある支店長安島富治に依頼すべきものと考えながら、これを避けて久保に依頼したものと認められる。
右事実によれば、控訴人主張の定期預金契約は訴外久保が被控訴組合を代理する権限なくして擅に支店長名義で預金証書を作成交付したものにかかり、被控訴組合にその効力を及ぼし得ないものというほかない。控訴人は、控訴人において久保に右代理権ありと信ずべき正当の理由があつたとして民法第百十条の適用を主張するけれども、同条にいわゆる第三者とは取引の相手方をいうものと解すべく、前認定の事実によれば、本件においては訴外柳沢義春に代表もしくは代理された前記定期預金名義人がこれに該当するのであるから、前記のように柳沢において右久保に代理権のないことを知悉していた以上、民法第百十条により控訴人主張の定期預金契約が被控訴組合に効力を生ずるに由なく、預金債権に質権の設定を受けたと主張する控訴人が久保に代理権ありと信じたとしても、右の点に差異を生ずるものではない。
さらに控訴人は、仮りに前記預金証書に対応する金員の預入がなくとも、右契約の成立が表示されている以上、通謀虚偽表示もしくは心裡留保に該当し、被控訴組合は善意の第三者たる控訴人にその無効を主張し得ないというのであるが、本件預金契約は、既に判示したところから明らかなように、真実金員の預入れがなかつたという点のほか、訴外久保が預金契約締結につき権限のない点においてもその効力が問題となるものであるから、民法第九十四条第二項により、被控訴組合において真実金員の預入れのないため無効であることを控訴人に主張し得ない(この場合は控訴人は前記法条にいわゆる第三者に当たると解される)としても、これがため久保に右預金契約につき権限のない点の瑕疵が治癒されるものと解することはできない。よつて、右預金契約の有効なことを前提とし、右預金債権に対する質権者として預金の返還を求める控訴人の第一次の請求はその余の点を判断するまでもなく理由のないことが明らかである。
よつて進んで控訴人の損害賠償の請求について判断する。
訴外久保繁が被控訴組合足立支店に預金係として勤務し、前記認定のとおりの職務を執つていたこと、及び右久保が控訴人主張の定期預金証書及び質権設定承諾書を作成し、訴外柳沢義春にこれを交付したことは、既に述べたとおりである。
しかして冒頭認定に供した各証拠によれば、訴外柳沢義春は右久保に対し被控訴組合足立支店長名義の定期預金証書を発行して貰えば、これによつて他から金融を受け、それを同支店に払い込んで真実の定期預金を成立させ、これによつて更に同支店から金融を受けたい旨申入れ、訴外久保は一旦これを拒絶したけれども、柳沢は更に右証書により金融を依頼する先は足立支店とも取引のある訴外富士紙業株式会社代表取締役の西村勝郎であり、融資先に見せるだけで決して問題の起るようなところへ持ち廻らない旨、或いは融資を受ければ、直ちに証書の額面に相当する金額を同支店に払い込んで正規の預金証書と取換える等述べて懇請を続け、一方訴外西村及び柳沢は被控訴組合足立支店の開設早々かなり多額の定期預金をするなどして、同支店のいわゆる上顧客として信用を得、取引上の便宜も与えられて来たもので、久保としては一般顧客の場合に比し警戒心も薄くまたその申出を拒絶し難い事情にもあり、他面同支店は開設後日も浅く、久保においても右支店の成績を上げるため預金額の増加に懸命であり、さらには右申出に応ずれば柳沢の語る計画どおりに丸二商事に対するいわゆる当座のかぶりの問題も解決できるとの考慮もあり、柳沢はこのような久保の心理状態を利用し、証書発行後間違なく、速かに現金を払い込むから問題の生ずる余地はないと強調して巧みに久保の意を動かし、結局柳沢において本件定期預金証書により金融を得次第直ちに現金の払込がなされ、正規の預金となし得ると信じた久保は右柳沢の申出に応じても格別の問題は生ぜず、ましてこれにより第三者に損失を与えるようなことはないものと考え、遂にこれを応諾して本件定期預金証書及び質権設定承諾書を柳沢に交付したこと、柳沢から右預金証書等を受取つた訴外西村勝郎はこれを控訴人に交付して金融を得たといいながら、柳沢に対し殆んど金員の交付をせず、柳沢から被控訴組合足立支店に対する約定の金員の払込もなく、訴外久保の懸命の努力にも拘らず前記預金証書の回収はできず、右定期預金債権に質権の設定を受けたと主張する控訴人から被控訴組合に対し右預金の返還を求められるに至つたことを認めることができる。
なお、他の証拠によれば、本件を別にしても訴外富士紙業株式会社代表取締役西村勝郎の被控訴組合との間の取引に関する行動には不可解の点が多く、また訴外柳沢が右西村に対し本件定期預金証書による金融を依頼した後の経緯については、前認定の事実によれば、結局訴外久保は本件定期預金証書発行につき訴外柳沢の言を信じ、右証書及び質権設定承諾書を欺き取られたものというべく、控訴人主張の結果の発生はこれを予見し得なかつたものであるからこれについて故意があつたということはできない。もつとも、事後においてその欺かれた過程を顧みれば、金融の事務に携わる者としてその注意が万全であつたとはいい難いとの見方も当然あり得るであろう。しかしながら、前認定の事実によれば、訴外柳沢は、訴外西村と共に、開設後日の浅い被控訴組合足立支店において有力な顧客として信用せしめ、取引上の便宜を得ると共に、前認定のような事情を利用して極めて巧妙に久保の心を動かし、同人をして本件定期預金証書の発行は現実の預入が若干遅れるという点のほかは正規の預金の場合と異るところがなく、格別問題を生じないものと信ずるに至らしめ、遂に預金証書を交付せしめたもので、その後訴外西村の前記行為の介在によつて、事は右久保の全く予測し得なかつたところに進展したのである。以上の点を考慮するときは、久保においてこのような事態の発展により第三者に損害を及ぼすような結果を生ずべきことを予見し得なかつたとしても、これをもつて法律上一般に要求される注意を欠くものと断ずることは、同人が前示のような業務に携わるものであることを考慮に入れてもなお躊躇せざるを得ず、当裁判所は右久保に不法行為の要件たる過失があつたものと断ずるのは酷に失すると考える。
以上述べたとおり、本件において控訴人の主張する結果の発生につき、久保に故意もしくは過失ありと認めるに十分でないので、これを前提とする控訴人の不法行為に基く損害賠償の請求も亦この点において失当として棄却すべきものである。
よつて控訴人の請求を何れも棄却した原判決は相当であるから、本件控訴は理由がない。